大大阪 未来への建築 - Modern Building in Osaka [建築と都市のあれこれ - Urbanism]
昭和初期、ある企業の社長の遺族から贈られた100万円と関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円(現在の75億円に相当)という莫大な民間のお金で建設された建物が大阪にある。大阪は近世以来、豊かな経済力で、モダンで活力ある文化を培ってきた。その支えとなったのは、商業・紡績・鉄鋼など、あらゆる産業に関わる民間のひとたち。
そんな時代、大阪に数々の名建築が生まれた。三休橋筋に面して建つこのモダンビルヂングはその名建築を代表する建物。この混沌とした時代に、かつての『豊かさ』とその目に見えない大切さを思い起こさせてくれるもの・・・
そんな大阪を、かつて『大大阪』と呼んだのだそうです。
→応援お願いします。
その有名近代建築は、綿業会館。2003年12月25日に国の重要文化財に指定され、2007年には近代化産業遺産に認定された。
その建物に、現代のお金にして75億円というお金をかけ、建設を働きかけたのは、東洋紡績専務取締役・岡常夫氏。日本綿業倶楽部の施設として綿産業の繁栄を願ったとされている彼は、ビルに入るとすぐそこに銅像になって座っている。
その建物は日本綿業倶楽部のもので、会員制サロンとして利用されているので、普段用のない人はそうやすやすと見学に入れない。倶楽部関係者の解説付きで見学会に参加できるということで勿論参加。
この建物の設計を担当したのは渡辺節氏。ヘッドドラフトマンには村野藤吾氏が参画した。
『1945年3月の大阪大空襲で船場オフィス街は壊滅的な被害を受けたが、この建物は各部屋の窓にワイヤー入り耐火ガラスを使用していたために、窓ガラス1枚とカーテン1枚に被害を受けただけで殆ど無傷であった。』というエピソードからわかるように、彼の設計は当時最先端とされていたアメリカの技術を用いたことによって、将来的に必要になる設備を予測した設計を行ない、現在でも当時の仕様のまま使用されている点で、とても評価されている。
それは、渡辺節という建築家がただ目下にあるものだけにとらわれず、その建築がまるで永遠にそこに建っていられるかのように設計を行なった事に他ならない。先を見据え、持続性をデザインする。それは現在に、特に大切な事。利益や象徴性の追求だけに終わってしまうのではない、持続性のあるものづくり・・・近代建築には、ただ建物の美しさや歴史だけを伝えてくれるのではない、それ以上の価値がある。
それと同時に、建物の装飾やスタイル、細部にもこだわりがうかがえる。各部屋のスタイルは、各イタリアルネッサンス式のエントランスや、イギリスのジャコビアン・スタイルの談話室など、それぞれ違うものになっていて、世界各国の来賓や、会員の好みに応じて、好きな部屋を選んでもらいたいという配慮がされている。
また、一番人気という談話室の奥の壁は、京都泉涌寺の窯場で焼いたタイルを使用していて、渡辺節氏自ら一枚ずつ貼ったのだそう。
インテリアも美しいのだけれど、残念ながらエントランスホールの豪華なシャンデリアなど、金属は戦時中に軍に提供されたため、現在はミラノのスカラ座のものをモチーフにした、当時とは違うものが飾られているのだそうだ。でも、それでも戦火を生き延びた大大阪の建築は、基調な大阪時間を実感し、それぞれの人に大切な物をもう一度考えさせてくれる、すばらしい空間。
開発で取り壊しの決まってしまった建物もたくさんあり、貴重な空間は失われつつある。それを残そうと活動している若い人たちや建築に関わる人たちが出てきているので、現代の進化した技術を持続可能な方向に利用できるよう、建築の活用方法が見つけられればいいのに。私も守ります。
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そんな時代、大阪に数々の名建築が生まれた。三休橋筋に面して建つこのモダンビルヂングはその名建築を代表する建物。この混沌とした時代に、かつての『豊かさ』とその目に見えない大切さを思い起こさせてくれるもの・・・
そんな大阪を、かつて『大大阪』と呼んだのだそうです。
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その有名近代建築は、綿業会館。2003年12月25日に国の重要文化財に指定され、2007年には近代化産業遺産に認定された。
その建物に、現代のお金にして75億円というお金をかけ、建設を働きかけたのは、東洋紡績専務取締役・岡常夫氏。日本綿業倶楽部の施設として綿産業の繁栄を願ったとされている彼は、ビルに入るとすぐそこに銅像になって座っている。
その建物は日本綿業倶楽部のもので、会員制サロンとして利用されているので、普段用のない人はそうやすやすと見学に入れない。倶楽部関係者の解説付きで見学会に参加できるということで勿論参加。
この建物の設計を担当したのは渡辺節氏。ヘッドドラフトマンには村野藤吾氏が参画した。
『1945年3月の大阪大空襲で船場オフィス街は壊滅的な被害を受けたが、この建物は各部屋の窓にワイヤー入り耐火ガラスを使用していたために、窓ガラス1枚とカーテン1枚に被害を受けただけで殆ど無傷であった。』というエピソードからわかるように、彼の設計は当時最先端とされていたアメリカの技術を用いたことによって、将来的に必要になる設備を予測した設計を行ない、現在でも当時の仕様のまま使用されている点で、とても評価されている。
それは、渡辺節という建築家がただ目下にあるものだけにとらわれず、その建築がまるで永遠にそこに建っていられるかのように設計を行なった事に他ならない。先を見据え、持続性をデザインする。それは現在に、特に大切な事。利益や象徴性の追求だけに終わってしまうのではない、持続性のあるものづくり・・・近代建築には、ただ建物の美しさや歴史だけを伝えてくれるのではない、それ以上の価値がある。
それと同時に、建物の装飾やスタイル、細部にもこだわりがうかがえる。各部屋のスタイルは、各イタリアルネッサンス式のエントランスや、イギリスのジャコビアン・スタイルの談話室など、それぞれ違うものになっていて、世界各国の来賓や、会員の好みに応じて、好きな部屋を選んでもらいたいという配慮がされている。
また、一番人気という談話室の奥の壁は、京都泉涌寺の窯場で焼いたタイルを使用していて、渡辺節氏自ら一枚ずつ貼ったのだそう。
インテリアも美しいのだけれど、残念ながらエントランスホールの豪華なシャンデリアなど、金属は戦時中に軍に提供されたため、現在はミラノのスカラ座のものをモチーフにした、当時とは違うものが飾られているのだそうだ。でも、それでも戦火を生き延びた大大阪の建築は、基調な大阪時間を実感し、それぞれの人に大切な物をもう一度考えさせてくれる、すばらしい空間。
開発で取り壊しの決まってしまった建物もたくさんあり、貴重な空間は失われつつある。それを残そうと活動している若い人たちや建築に関わる人たちが出てきているので、現代の進化した技術を持続可能な方向に利用できるよう、建築の活用方法が見つけられればいいのに。私も守ります。
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